結論

石川氏はよく言う。「道まだなかば・・・」だとか「ようやく山の五合目・・・」だとか。
たいへん謙虚な言葉で、彼の人柄を感じさせもする。しかし筆者はいささか「嫌み」のようにも受けとめる。

「傑作」や「秀作」をぞろっと観せておいて、「まだ道なかば、五合目もないもんだ!」・・・
歌舞伎役者がよくいう「芸の道をようやく解りかけてきた・・・」などと。人間国宝の九十爺のセリフ! 冗談じゃないでげす!?

石川氏の自己採点、画業の位置づけ、謙虚なのはいいのだが、では、彼はいったい「どの山」に登ろうとするのか?
彼と一緒に、当代現役一流の「著名桜絵画家」の大作を見に行ったことがある。「ヘエー これがね!?・・・」と両人。絵のサイズでは絶対に敵わないが、彼は自分の絵に自信を深めたようだ。

では、もう一度聞こう! 「どのピークを目指すのか?」
極論すれば、絵画の歴史に名を残す天才たちーー北斎・セザンヌ・ゴッホたちを目指すのか? 天才でも、もう少し下のランクなのか?
でも「その道」しか残されてはいないように、筆者には思えるのだが??

この日本には「桜の名画」なるものが、ほとんど見当たらないことを考え合わせると、そうなる。

このままで問題になるのは、天才たちと石川氏の「絵」の創作方法の差異である。天才たちの絵は、ほとんど「デフォルメ」されている。「デフォルメ」こそが、作家個々に「内在」する「イマジネーション・美性」の表現方法なのだ。「オリジナル」「ユニーク(たった一つのもの)」なるものは「デフォルメ」から生まれるのだ!
北斎の「赤富士」「品川沖の富士」。ゴッホの「糸杉」。日本画の「洛中洛外図」などの屋根・天井を取ぱらった凄い構図・・・

石川氏は「写生」から一歩二歩、踏み出し始めている。「私は現場主義だから・・・」というセリフもしばらく聞いてない。

目指すピーク、その道は本当に遠く険しいと思う。でも彼は歩みつづて目指すピークに達するだろう。
この「石川進造記念館」の冒頭に「下請け体質のヒキフネを,技術・研究開発志向の会社へと、一気に舵を切った・・・」とある。「現場」に立脚しながら、数々の「技術研究」を積み上げ「世界のヒキフネ」をつくりあげたのだ。
「写生」から「デフォルメ」へ、彼はやるだろう。

もはや,200本の「名木」を追いかける必要などないはずだ。六年にわたる桜旅で,見つづけ描きつづけてきた「桜」の「内実」を追うことになるはずだ。
気にいった一本の桜を、気にいった風景に「移植」してもいい。幻想の風景でもいいのだ!
一本の桜を、これでもか!これでもか! と繰り返しくり返し執拗に描きつづけてもいい。ゴッホが「ヒマワリ」「自画像」を、セザンヌが「サント・ビクトワール山」を、ルオーが「キリスト」を描いたように・・・
「幻想の桜」が「彼の桜」に成るかもしれない。彼はやるだろう。「写生」から「デフォルメ」へ、命がけで「桜の内実」を描くことに・・・(以前、「美の女神の誘惑は死にいたる病だ!」と言っていた)

気がかりなのは年齢と病身のこと。(筆者は一つ下だが、病気の数ではこちらのほうが上!?) よく冗談まじりに本気・病気の話をする。

元気でなきゃ病気になれないんだから!? と彼。
こうして、いい齢をしながら まだ「創作」をつづけようなんて、それは単なる「欲」でしかない! 「意欲的」などというのは若年向け用語、と筆者。
「私は欲張りだから・・・」と最近の彼。「でもね、あんたは病身のくせに健常者より欲深なんだから・・・」とつづく。
「欲張り」「欲深」合戦!——少ない残り時間をどこまで「創作」につなげ切れるだろうか・・・ 

石川進造氏の次なるピークを見てみたい。

「S H I N Z O」が「桜絵」を意味するようになるのだから。

2014 . 1 . 31 佐藤宗太郎  

<付記>

2015年3月 第8回展「桜のたび(4)」
ギャラリーコンセプト21(東京青山)にて始まります。
石川進造の更なる桜絵の挑戦が見られます。

佐藤宗太郎 Satoh Sotaro

1936年 東京生まれ 2014年現在 78歳

佐藤宗太郎

略 歴

  • 1. 石川進造氏の古い友人 写真家・画家・化学技術者
  • 2. 宗教造形研究家。主な著書 『インド石窟寺院』『エロー ラ石窟寺院』『石仏の解体』『石仏の美』『石と死者』その他多数

プロフィール 

  • 其の1. 化学研究技術者として、製薬・油脂・金属 などの企業で、新技術・新製品の研究開発に携わり、「サトー化学研究室」設立。研究委託や技術コンサルタントに従事。
  • 其の2. 石仏写真家、インド美術研究者、絵画・陶芸・染色などの制作、香りと香料の研究(調香師)、インドのドキュメンタリービデオ制作、音楽(作曲・演奏)など、多分野における芸術と学問を展開。
1961年 若杉 慧著「野の佛」に触発され 石仏写真を始める。以後10年間 日本全国各地の石仏調査・撮影
1964年 写真二人展「石仏の叙情」(里見文明氏と共催)東京銀座
1969年 エローラ およびインド・スリランカ各地の美術調査・撮影
1971年 エローラ を中心とした西インドの石窟寺院の調査・撮影
1973年 調香師の勉強はじめる。以後約40年間 アロマアーティストJirnaSadhuとして香水・線香の制作を続ける
1974年 写真個展「観音」横浜三越
1976年 日本各地の墓地墓石の調査・撮影 以後約8年間続く
1981年 インド・ネパールの石造美術の調査・撮影
1984年 インド石窟寺院と墓地・墓石の調査・撮影
写真個展「石と死者」東京ニコンサロン
1985年 インド石窟寺院の調査・撮影 全インドの石窟寺院 の調査・撮影ほぼ完了。私的講座「石仏塾」主催
1986年 アトリエ・スタジオなど群馬県に移す
1987年 染色「藍染」制作。 J.Sadhuとして「藍染作品展」群馬草津 幅1m長さ115mの世界最長?の藍染は注目された
1988年 写真個展「日野谷百景」群馬高崎
1988~2008年 インド各地の生活伝統文化の調査・ビデオ撮影。砂堂 創(Sado So)として「INDIA INDIA」 DVD全100巻 2012年現在89巻まで完成
1990年 陶芸制作「砂堂陶芸作品展」群馬高崎 特に石板や石のブロックに釉薬で絵付けして焼成する技法・作 品は注目された
1991~96年 絵画 DrawingArt「Sotaro`s Streams」制作
2006年~ 「エローラの世界」ビデオ制作 DVD全 34巻 2016年完結予定
2007年~ 音楽(作曲・演奏) TibetanSingingBowlsの弦と打による即興的演奏。交響詩「ヒマラヤ」その他
2011年 絵画・陶芸個展 第1回「Sotaro`s  Streams」群馬前橋 
2012年 第2回 群馬藤岡、 第3回 群馬高崎、第4回 東京江戸川総合文化センター
2012年 「砂堂庵 春の花園」園遊会・撮影会一般公開 
2013年 第5回 第6回「Sotaro写真展 花花花」群馬高崎
第7回 絵画展「Sotaro`s  Venus」東京カフェ百日紅
第8回 写真展「Elotic Flowers」東京カフェ百日紅
第9回「SOTARO 絵画・陶芸展」山梨 平山郁夫シルクロード美術館旧別館
第10回 「絵画・木彫 二人展」銀座リ バース
2014年~ 第1次 第2次巡回写真展 「花」始まる